
「何回か倒れて、ノドに注射を打って」私生活では2児のシングルマザー…「エヴァ」アスカ役・宮村優子の“苦労人すぎる人生”
「ただの記号論なんですよ、セルなんて。マーカーでアスカの絵が描いてあって、そこから宮村優子の声がすれば、もう十二分にアスカなんですよ」 【写真】この記事の写真を見る(3枚) 庵野秀明が『月刊Newtype』のインタビューでそう言ったのはもう二十数年前の1996年6月号、最終回26話が放映されてファンの間で大論争になった直後のことだ。それはセルアニメーションにこだわるアニメファンを痛烈に批判し、これはただの紙に描かれた絵だ、現実に帰れと突き放す当時の有名な文脈の中で出た発言ではある。 だが逆に言えばその言葉は、日本のアニメーションにとって声優という存在がどれほど大きな存在であるか、キャラクターの身体性とヒューマニティ、アスカがアスカである自己同一性が宮村優子の声によってかろうじて視聴者と繋がれていることを意図せずに吐露した作り手の告白にもなっている。 エヴァンゲリオンのアフレコにおける庵野監督のこだわりを知らないファンはいない。多くのドキュメンタリーや声優たちのインタビューで、通常作品では考えられないほどのリテイクが重ねられ、キャラクターが首を絞められたり水を吹き出すシーンでは声優もマイクの前でそのシミュレーションをしながら、魂を差し出すような演技が求められる収録の様子が語られている。 2023年3月31日、NHKBSプレミアムで『ドキュメント「シン・仮面ライダー」~ヒーローアクション挑戦の舞台裏~』が放送された。「段取りなんかいらないですよ」「もう全部アドリブでやって欲しいくらい」とアクションにリアルさを要求する庵野監督に対し、「それを役者に僕はやらせられない」と困惑するアクション監督。それは過去に語られたエヴァンゲリオンのアフレコの逸話の数々と共通する庵野演出の手法だ。 殺陣の撮影中、敵役に右ストレートが当たってしまい、俳優が倒れ込むというアクシデントが起きたシーンを、それまでOKを出さなかった庵野監督が気に入ったと聞いた主演の池松壮亮は半ば困惑しながら、「アニメーションに勝てるとしたら『肉体感』と『生っぽさ』しかないと思う。そういうところを探して反応してるんだな」とつぶやく。庵野演出の光と闇を的確に把握した言葉だ。 そして「(僕は)実写映画の中で本物が出来るのは役者だけだと思う」と同ドキュメンタリーで語る庵野監督が、アニメ表現であるエヴァにおいて、「肉体感と生っぽさ」「本物のリアリティ」を求めた相手は、まだ若い当時の声優たちだった。 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の公開のころ緒方恵美の自伝的エッセイ『再生(仮)』が刊行され、その濃密な内容が話題を呼び、版を重ねた。 この春、来年の大河ドラマ『光る君へ』に出演が決まっている三石琴乃のエッセイ『ことのは』が出版され、そして同じ月に宮村優子の対談集『アスカライソジ』も刊行されている。90年代を席巻したエヴァンゲリオン声優たちの回顧録、告白が続いているのだ。 テレビ版の『新世紀エヴァンゲリオン』がスタートする時、碇シンジ役の緒方恵美や葛城ミサト役の三石琴乃はすでに『美少女戦士セーラームーン』を支えるスター声優だった。 シリーズをスタートさせるにあたり、庵野秀明は業界の慣習を破って、本人との直接交渉までして緒方恵美に碇シンジ役を望んだことが『再生(仮)』の中で語られている。綾波レイ役の林原めぐみに至っては、当時すでに人気実力ともに声優界のカリスマの1人だったと言ってもいいかもしれない。 対談集『アスカライソジ』の中で垣間見える宮村優子の半生も、押し寄せる荒波に対する反逆と自由奔放の連続だ。 あまりに特徴的な声のために「子供の頃から声が浮いていて、めちゃくちゃイジメられたんです」(『アスカライソジ』)という少女時代。小学校の将来の夢に「結婚してもできる職業」と書いた少女は、エヴァンゲリオンで声優ブレイクしたばかりの1998年に最初の結婚と翌年の離婚、2004年に2度目の結婚を経験し、一度はオーストラリアに移住する。 『声優プレミアム』の中で「宮村さん自身とアスカのイメージを重ねられることも多かったのでは?」と問われた宮村優子は「そんなのばっかりです。何をやっても『アスカだよね』と言われて『そうなの』という。だって、アスカは作って演じたわけではないから。自分の中にあるものを出していったので、絶対に自分と同じになりますよね」と答えている。 林原めぐみや緒方恵美はプロとして、地声とは違う声でシンジやレイを演じたが、ほぼ無名の新人としてオーディションに合格した宮村優子のアスカは、ほぼ地声だったのだ。 エヴァンゲリオンとそれに乗る14歳のチルドレンとの関係のように、声優と役柄をシンクロさせる庵野秀明の演出方法は、デビューしたての新人である宮村優子に最も劇的な相互効果を及ぼし、声優への負担と引き換えに作品にリアリティをもたらした。アニメ史に残る旧劇場版のラストシーン、「気持ち悪い」というアスカの台詞が、「目覚めてこんな男がいたらどうする」という庵野秀明の問いに対する宮村優子の答えから取られたことはその象徴だ。 だが庵野秀明がオタクに決別を突きつけてシリーズを終わらせた後に、その批判的メッセージを背負ったキャラクターとシンクロしたままアニメ界に残されたのは「アスカの声」を変えられない宮村優子だった。 何をやってもアスカだね、と言われながら、気持ち悪い、という言葉でエヴァブームを終わらせたヒロインの声を背負って宮村優子は声優界で生きていかなくてはならなかった。エヴァンゲリオンは彼女をスターダムに押し上げた福音であり、そのメッセージを背負う呪縛でもあった。 バセドウ病と橋本病を期間を空けて発症し発声もままならなくなるという、健康面でも声優活動の危機に瀕した宮村優子は、『名探偵コナン』の遠山和葉役の降板を自ら申し出るが、「治るまで待つ」というスタッフの言葉に救われ続投する。長い継続性と安定性を持つ『名探偵コナン』というコンテンツだからこそ可能な懐の深さだろう。その後は回復し、遠山和葉役は今も、服部平次とのゆっくりと進むラブストーリーの中で継続している。 緒方恵美も林原めぐみも、「エヴァの後の世界」を生き延びることが宮村優子にとっていかに過酷だったか、ファンに語られないことも含めて、エヴァンゲリオンの裏側の過酷さをよく知るからこそ、古参兵が戦場から生還した新兵を見るように、あれほど優しく宮村優子を見つめるのかもしれない。 「今はオタクや声優が認められる良い時代になりました」宮村優子は様々な場所でそう語る。確かに90年代から時代は大きく変わった。池袋にオープンした巨大なアニメイトは1階から9階まですべてアニメ関連のフロアがぶち抜くアニメの殿堂だが、さらに驚くのはその中にひしめくアニメファンのどう見ても7割以上が女性ファンであることだ。平均年齢層は若く、外国人やカップルも多い。 いまや下北沢や原宿竹下通りと変わらないその賑わいに、かつて差別されたアニメファンの影はない。旧劇場版で庵野秀明はエヴァファンにカメラを向けた実写映像を挿入したが、もし今のアニメイトで「現実を突きつける」とカメラを回しても、そこに映るのは明るく楽しげな若者たちばかりだろう。
文春オンライン