
ずっと真夜中でいいのに。“完璧なライブ”でアリーナを支配 集大成にして新趣向も満載の『「テクノプア」~叢雲のつるぎ~』
「今後これを超えるライブをいくつ見られるかっていうレベルだった」。これは、ずっと真夜中でいいのに。が2023年1月14日、15日に国立代々木競技場第一体育館で開催した『ROAD GAME「テクノプア」~叢雲のつるぎ~』の終演後に、ソーシャルメディアで目にした感想の一つだ。おそらく自分よりもかなり下の世代のオーディエンスによるポストだと思うが、習慣的に国内外のライブに足を運ぶようになって40年近く経つ自分もまったく同じ感慨を抱かずにはいられなかった。単に大掛かりというだけでなく細部まで周到にデザインされたステージセットや衣装や特殊効果をはじめとする演出面において、そして何よりもそこで繰り広げられた歌と演奏の強度において、アリーナ規模の会場でこれ以上のクオリティのライブを体験できる機会は滅多にないだろう。付け加えるなら、ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンド来日公演から安室奈美恵の複数のツアーまで、過去に何十回も代々木競技場第一体育館でライブを見てきたが、この会場で音響面のストレスをまったく感じなかったのも今回が初めてだった。 【ライブ写真多数】Mori Calliopeとも共演したずとまよ ずとまよにとって今回の公演は二つの意味を持つ。一つは、昨年の9月から12月にかけて26公演をおこなってきたホール規模の全国ツアー『GAME CENTER TOUR 「テクノプア」』のアリーナでのエクストラショーであること。しかし、不意を突かれたのは、ステージセットの意匠だけでなく全体の構成やセットリストまで、『GAME CENTER TOUR 「テクノプア」』のコンセプトを一部引き継いではいるものの、ほとんど別物となっていたことだ。ちょうど昨年12月22日のツアーファイナルに足を運んでいたこともあって、そこから3週間ちょっとでここまでドラスティックにステージを発展、拡張させていることに素直に驚嘆した。冒頭に登場した茂住菁邨氏(4年前、当時の官房長官が掲げた「令和」の文字を揮毫した書家)による「叢雲開幕」の見事な書き初め実演を目の当たりにしながら、年末年始すっかり休んでだらけきっていた我が身を恥入るしかなかった。 もう一つは、昨年4月にさいたまスーパーアリーナで2日間にわたって開催された『ZUTOMAYO FACTORY「鷹は飢えても踊り忘れず」』以来、ずとまよにとって今回のライブが二度目となる1万人以上の大規模アリーナ公演であること。『ZUTOMAYO FACTORY「鷹は飢えても踊り忘れず」』もその時点でのずとまよのすべてを出し切ったモニュメンタルなライブだったが、ライブの途中で感極まるACAねをオーディエンスが見守る局面もあったりと、随所に初々しいところも見受けられた。しかし、今回のライブはあれがたった9カ月前の公演だったとは信じられないほど、最初から最後まで堂々たるショーとして完璧に「仕上がって」いた。惑星を形取ったバルーンの中から登場して、二階建てのメインステージの両フロアを行き来、さらには改造チャリ(!)でアリーナ後方に隠れていた(開演前にはその存在にまったく気づかなかった)セカンドステージに移動と、アリーナの広大なフロアを完全掌握して剣や銃やバズーカ砲(!)を振り回しながら縦横無尽に歌い踊り、プレイヤーとして時に扇風琴のソロまで披露するACAねは、その細身でツインテールのシルエットもあいまって、まさに「現実世界に舞い降りたハーレイ・クイン」そのもの。この短い間で、オーディエンスはACAねを「見守る」立場から、実在するスーパーヒロインACAねに「支配される」立場となったわけだ。 もちろん、ツアーごとに更新をしてきた演奏隊の驚くべき進化にも触れる必要があるだろう。ギター、ドラム、ベース、鍵盤と骨格となるインストゥルメントに複数の演奏者を配置(楽曲によって入れ替わることも)し、そこにホーン隊、各種特殊楽器隊、さらにアリーナ公演ならではのストリングス隊が加わった20人超えの大所帯バンドによって奏でられる分厚いサウンドは、現行音楽シーンのどこにも属さない真にオリジナルなもの。もっと言うなら、音数を極端に削ぎ落としてTikTok的ショートタームの中でフックとなるメロディやビートを印象づけていくグローバルポップシーンのトレンドに真っ向から叛逆するものだ。特に昨年の『GAME CENTER TOUR 「テクノプア」』ツアーでも衝撃を受けた新趣向である、「お勉強しといてよ」や「脳裏上のクラッカー」や「正義」などの間奏部分やアウトロで展開される「楽器全鳴り」の鮮烈な音像と暴力的な音圧は、仮面をつけたバンドメンバーのビジュアルの異様さと合わせて、フリージャズ界の伝説的存在サン・ラ擁するサン・ラ・アーケストラのパフォーマンスさえ想起させるーーと言ってもあまり伝わらないかもしれないが、こんなアバンギャルドでサイケデリックなサウンドが、合法的に東京のど真ん中の巨大な体育館で鳴り響いていることに興奮せずにはいられなかった。 そのように限界知らずに進化し続けているずとまよのライブだが、例えば先述したサブステージへの移動で使用された改造チャリは、「コンビニ」がステージセットのモチーフだった2020年の『やきやきヤンキーツアー(炙りと燻製編)』でステージにメンバーが登場する際に使用されたもの(そこからさらにカスタムが加えられていたが)。今回のステージセットのモチーフが今や全国的に絶滅の危機に瀕している「ゲームセンター」であったように、どんなにライブの規模が大きくなってステージセットがゴージャスになっても、ずとまよは「コンビニ」や「ゲームセンター」やそこに集う「田舎のヤンキー」といった、アナログな過去の現実世界の痕跡を残し続けている。あるいは、今回サブステージで演奏した「夜中のキスミ」のMCでACAねも触れていたように、ずとまよの楽曲の主旋律やコード進行がしばしば昭和の歌謡曲をレファレンスとしていること。日本の音楽シーンにおいて突然変異的な存在であり続けているずとまよだが、それでも大衆のニーズと乖離することがないのは、そのバックグラウンドにおいて我々オーディエンスと地続きの文化的原風景を共有しているからだろう。ACAねの世代的には、もしかしたらその一部はバーチャルなものであったとしてもだ。 そんなノスタルジックな感覚とバーチャルな感覚が入り混じった、ずとまよだけが持つ特別な時間と空間を象徴していたのが、今回アンコールで演奏された「綺羅キラー (feat. Mori Calliope)」で実現したMori Calliopeとの共演だろう。ステージ上でVTuberであるMori Calliopeとのリアルタイムでの掛け合いが展開したのは、LEDのビジョンでも3Dホログラムでもなく、ずとまよのステージでは「打楽器」として欠かせない存在としてお馴染みのズラリと並んだブラウン管の画面を通してだった。今回初めてずとまよのライブを体験した人は、一見カオティックにも見える情報過多なステージセットや衣装、演奏における特殊楽器の役割の大きさ、奇を衒ったかのような趣向の数々に面食らったかもしれないが、それらすべてには意味と意図と理由とストーリーが張り巡らされていた。そうした表現のインテンシティこそがずとまよの凄みであり、そこに到るまでのアナログ的な思索と作業の積み重ねが今回の奇跡のようなライブを実現させたのだ。
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