コミケ参加翌月に逝った兄「意地が勝ったね」闘病支えた妹が語る敬意「薄い本が墓標」存在の証、創作で刻む
2021年12月31日 07:12
コミケ参加翌月に逝った兄「意地が勝ったね」闘病支えた妹が語る敬意「薄い本が墓標」存在の証、創作で刻む

「今までの全てに、ありがとう」。2022年1月、ツイッター上でそうつぶやいて間もなく、息を引き取った男性がいます。直前に開かれた、同人誌即売会・コミックマーケット(コミケ)。男性は重い病を患いながら、死力を尽くして参加し、自ら描いたイラスト集を会場で頒布していたのです。命を燃やすようにペンを走らせながら、何を思っていたのか。人生の終幕が迫る中、どうして表現活動に取り組んだのか。亡き兄の創作と闘病を間近で支え続けた、きょうだいの記憶をたどりつつ考えました。(withnews編集部・神戸郁人) 【画像】今は亡き絵師が描き、人々が絶賛した少女のイラスト 儚げで透明感ある姿がどうしようもなく美しい 対応してくれたのは会社員のすみれさん(33)です。柔和な笑みを浮かべて話す様子は、歳が近い記者よりも、ずっと落ち着きに満ちています。冒頭にあいさつを済ませると、2歳年上の兄・ゆきさんが絵を描き始めた経緯について語り出しました。 学生時代を通じて成績優秀だったゆきさん。小学生の頃には地元自治体主催の絵画コンクールで入賞するなど、絵心も豊かでした。すみれさんに勉強を教えたり、図工の授業用の課題制作について相談に乗ったりと、優しい一面もあったそうです。 多才さの反面で、〝器用貧乏〟なところも。同じ学校に通い、日常を共にしていましたが、長らく打ち込めるものがないように見えたといいます。 転機が訪れたのは、すみれさんが中学3年だった年の夏です。ある土曜の昼下がり、人気漫画『カードキャプターさくら』の単行本全巻を、ゆきさんに買いに行ってもらいました。すると、いつの間にか、すさまじい熱量で読み込んでいたのです。 それ以来、人が変わったかのように、画用紙と向き合い始めました。自室にこもっては、女の子や洋服などがモチーフの鉛筆画を、アングルを変えて何百枚も生み出し続けたのです。思春期を全て費やすかと思われるほどの傾倒ぶりでした。 「何かに取り憑かれたのかな、と感じました。早熟というか、斜に構えたところがあったから、本当に意外で。兄は当時高校2年で、受験勉強も控えていた。こんな状態で乗り切れるのだろうか、と不安になるハマり方でした(笑)」 ゆきさんは生前、ツイッター上の「質問箱」機能で、イラストに親しんだきっかけをつづっています。「『カードキャプターさくら』3巻を読んだとき絵柄の繊細さに感動した」。すみれさんの記憶を裏付けるように、そう書いていました。 今回、すみれさんの他にもう一人、在りし日のゆきさんを知る人物に話が聞けました。10年以上、共にイラストを描いてきたという、会社員の羽月(はねつき)とけいさん(ペンネーム・37)です。 ゆきさんと出会ったのは、2009年頃のことでした。画像投稿サイト「pixiv」で公開されていた自作イラストを見て、すぐファンになったといいます。 「彼の絵の魅力は、独特の色使いや、仕様の細かさにあります。たとえばフリルつきの服について、ひだ一つひとつまで丁寧に描き込むんです。仕上げるのに数日かかるような表現にも、絶対手を抜かない。いつも全力投球でしたね」 記憶に強く残っている出来事があります。2010年12月、羽月さんは仕事で海外に出張しました。同月30日にコミケが予定されていたものの、帰国日は開催の4日ほど前。とても同人誌を仕上げる余裕などないと、新刊作りを諦めていたそうです。 日本に戻った当日の夜、ゆきさんとボイスチャット(ネット上の音声通話システム)で話す機会があり、事情を伝えました。すると、思いも寄らない申し出を受けたのです。「何言ってんだ、今から一緒に合同誌を作ろう」 手がけたのは『東方Project』関連の短編漫画とイラストを掲載した冊子。表紙のキャラを手分けして徹夜で描き、コミケの開催前日、印刷にこぎつけました。2人でページをホッチキスで止め、製本した体験が印象深いと語ります。 羽月さんによると、ゆきさんは他人の懐に入り込むのに長けていました。イラストを見ると、「斜線の強弱の付け方が上手」とマニアックなこだわりを褒めるなど、作品や人物の魅力を発見することが得意だったそうです。 「有名な絵師(絵描き)さんに自ら働きかけ、コラボイラストを描くこともあり、肝が据わっていましたね。実現の可能性が低くても、まずは何とか挑戦してみる。そんな精神性を持ち続けた、本当にすごい人だったと感じます」 我が道をひた走るゆきさんを、妹のすみれさんは、常に間近で見守っていました。大学時代を過ごした京都の自宅で、関西地方の即売会に出るためやってきた兄と、同人誌をとじる。絵柄が変わったら、美点を褒める。思い出は尽きません。 「兄は幼い頃から優秀で優しかった一方、どこか変わっているところがありました。幼心に、将来うまくやっていけるのかと心配していたんです。でも創作が、人生を良い方向に変えてくれたから(支えてきた)。おせっかいですけどね」 このまま、いつまでも幸せな時間が過ぎていくといい――。家族としてのささやかな願いは、しかし、突然打ち砕かれることになります。 2020年秋頃、ゆきさんは強い腹痛や、深刻なせきに悩まされていました。ちょうど、プライベートで様々な変化があった頃。ストレスのせいかもしれないと思いつつ、かかりつけ医に診てもらうと、大学病院に行くよう言われました。 さらに詳しく調べたところ、腸閉塞が確認され、同年12月に横行結腸がんであることが判明したのです。がんは既に進行しており、肺や腹膜にまで転移していました。すみれさんは診断当時のことを、こう振り返ります。 「兄からLINEで報告され、頭が真っ白になりました。病院に急行すると、腸内の食べ物を排出するため、鼻にチューブを通した状態で出迎えてくれた。『腹痛が一番つらかったから大丈夫』と、気丈に振る舞っていましたね」 担当医からは「適切な治療を施さなければ余命は2カ月ほどだ」と伝えられました。この出来事を境に、一人暮らしをしていたゆきさんのもとに、すみれさんと弟、両親の家族全員が集まります。予想だにしなかったケアの日々が始まったのです。 ところが、同年末のコミケが間近に迫った12月上旬、事態が急転します。全身の酸素飽和度が危険値まで低下し、入院を余儀なくされたのです。「もう家に帰れないかもしれない」。担当医の言葉に、すみれさんは戦慄しました。 この頃、ゆきさんのがんはかなり進行していました。抗がん剤を変えても効果が望めず、肺への転移も災いし、呼吸に支障が出ていたのです。しかし最善を尽くした結果、10日後に何とか退院を果たします。 それ以降の兄の姿を、すみれさんは忘れられません。 「きっと息をするのも大変だったでしょう。でも夜な夜な自室のベッドから起き上がり、絵を描いていたんです。高校生に戻ったみたいに、一分一秒を惜しんで。私は隣のリビングに布団を敷いて控え、酸素マスクを時折口にあてに行きました」 「兄はもはや、家族の手助けなくして日常生活を送れなくなっていました。でも同人誌作りについて、イラスト制作から印刷所への発注まで、全て自分でこなしきった。ギリギリの体調でしたが、『意地が勝ったね』と思いました」 12月31日、ついにコミケ当日を迎えます。車いすに乗ったゆきさんと共に、すみれさんはサークル席を訪れました。コピー用紙に少女のイラストをプリントした、8ページほどの新刊が目玉です。 入場制限のため例年より参加者数が少なく、開会後1時間ほどは同人誌を試し読みする人もまばら。しかし徐々に人出が増え、1冊購入されるたび「お兄ちゃん、買ってくれたよ!」と声をかけました。ゆきさんは安心した表情を見せたそうです。 「彼にとって、コミケは夢というか、区切りというか。人生の終着地だったのかもしれません」 創作が媒介した縁が、いかに尊いものだったか。生まれて初めて同人誌を編み、冊子を買い求める人々と交流してみて、すみれさんは強く実感したと話します。 「創作がある生き方とない生き方は、こんなに違うんだなと。ものをつくることで存在の証を残す。その営みから兄がどんな喜びやうれしさを感じていたのか、ようやく理解できた気がします。いつか私も自分だけの本を手がけてみたいです」 「そして兄が情熱を燃やせたのは、コミケという場があったからこそです。人生の中で、このイベントを必要としている人々は、必ずいると思います。どんな形であれ、これからも応援していきたいですね」 ところで記者には、すみれさんにぜひ見てもらいたいツイートがありました。がんが発覚する直前の2020年11月17日に、ゆきさんが投稿したつぶやきです。そこには、こんなことが書かれています。 「紙の! 本の! 価値は! ぬくもりとか利便性とかそういうんじゃないんだよ!! 俺が死んだ時、俺の書いた薄い本が俺にとっての墓標になるんだよ!!」 全てを見透かしていたかのような内容に、すみれさんは目を丸くして驚きました。そしてぱっと笑顔になり、こう語ったのです。「こんな投稿、全然知りませんでした。やっぱり面白いやつですね、兄は。本当にさすがだと思います」 改めて、ゆきさんに伝えたいことはありますか――。続けて尋ねてみると、すみれさんはしばし沈黙した後、次のように答えました。 「亡くなった後の日々について話してあげたいです。たくさんの絵を残してくれて、今更ながら感謝していること。兄が大切にしてきた友人たちが、今も私たちを気にかけ、支えてくれていること。どれも本人が知り得ない事実ですから」 「大人になっても、あんなに一緒に過ごせるとは、思いもよりませんでした。創作も、闘病でさえも、兄のお陰で全部楽しかった。妹の私から見ても、見事な最期だった」 「一番言いたいのは、『小さいときからずっと可愛がってくれてありがとう』ということですね」 「創作物は世界のどこかを漂い続け、作った人物が亡くなっても、その生き様をずっと伝えてくれる」。すみれさんが語った一言です。表現活動の本質を、とても端的かつ情感豊かに示していると感じます。 記者自身も、多くの同人作家の方々と接する中で、同じことを思ってきました。本を編む作業には、著者の価値観が少なからず反映されるもの。あまねく書物の中でも、同人誌はその濃度が特に高いと言えるでしょう。 作者が自らの思いを、感情の赴くままに表明し、ページに直接刻印する。まるで生成りの生地のように、書(描)き手の混じりけの無い言葉や絵があしらわれた本は、まさしく人生録そのものです。 ゆきさんは35年間の生涯において、同人誌と真摯に向き合い続け、冊子としての強みを追求し続けました。今生の旅路を行き果ててなお、自著で多くの読み手の胸を打ち、ご家族の魂に寄り添う。その様子に全幅の敬意を抱いています。 2022年12月30日。記者は101回目のコミケに足を運びました。羽月とけいさんが会場入りしていると聞き、あいさつしたいと考えたためです。インタビューのお礼を伝えると、ゆきさんとの思い出話に花が咲きました。 本の表紙に特殊な加工を施す技術を、独学で習得し、同人誌作りに活かしていたこと。がんが発覚して以降、気の置けない同人作家同士で温泉旅行に行ったこと。その際、闘病中であると信じられないほど、明るく振る舞っていたこと……。 「彼はゆきさんの影響で絵を描き始めたんですよ」 昔語りの後、羽月さんは隣に控えた、友人の男性を紹介してくれました。元々ゲーム音楽のアレンジ作品を手がけ、かつてゆきさんが企画した合同誌向けに、未経験ながらイラストを寄稿したそうです。 今回のコミケに、自らが主宰する、VTuberのファンアートサークル名義で参加したという男性。「こうして活動を続ければ、ゆきさんが愛した場所の一角を守ることができる。心につけてもらった火を、ずっとともしたいと考えています」 命には限りがある。しかし意志は、時空を軽やかに飛び越え、誰かが歩もうとする道を確かに照らしてくれる。2人との対話を経て、そう実感しました。同時に、一度も言葉を交わしたことがないゆきさんと、深い次元でつながれた気がしたのです。 本とは体温を伴った人間の声であり、受け止める読者が存在する限り、声の主は不滅だと思います。ゆきさんもまた、同人誌を通じて、人々の中にながらえているのではないでしょうか。取材を終えた今、記者は確信しています。

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